いけばなの歴史【古代~ 飛鳥、奈良、平安、鎌倉時代】

いけばなの3大ルーツは?

長細く、比較的温暖で(最近は熱帯化していますが・・)四季がはっきりしていて、一つの国としては比較的多くの種類の花を楽しめる日本。

 

古代~ 飛鳥、奈良、平安、鎌倉時代には、「花を愛でる、飾る」「神の依代」「供花」など、いけばなの基礎となることが発展していきます。


The origin of ikebana is from Buddhist practice and Shinto

We would recognize it at 14th century.

●花を愛でる、飾る

奈良時代の『万葉集』や、平安時代の『古今和歌集』『枕草子』などには、

 

花にまつわる和歌が詠まれていたり、花を飾る習慣があったことが書かれています。

「久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ」

-紀友則(古今和歌集・平安時代)

 

「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける」

-紀貫之(古今和歌集・平安時代)

●神の依代-神道の自然崇拝の影響 Shinto

神道では、『人と自然と宇宙の融合』といった自然崇拝が信仰の中心にあります。

 

森羅万象(人間が想像可能なありとあらゆる事象)に神が宿るとして山・巨大な石や木に特別な意味もたせていました。緑色を絶やさない常緑樹や、樹木を神が依るとして、依代として信仰していました。

 

神事で榊(さかき)お祓いをしたり、正月に門松を飾るのも、依代の意味合いを持っています。

 

スピリチュアルな場所として、旅行先や休日に神社などに行くことがレジャーの1つになっていますが、樹木に囲まれた参道など緑の中を歩くことによって、自然の中に身を置くことが神道の大事なポイントなのですね。

 

 

●仏に花を備える Buddhist practice


6世紀に、仏教が日本に伝わってきました。

供花(くげ)といって、仏に花を供えるようになりました。

 

華厳経や法華経など、経典の名前に華(花)という字があるよう、仏教と花は深い関わりがあります。仏教が生まれたインドに多い蓮の花などが仏教装飾に使われていたりします。

 

仏教の中でも、後に室町時代に発展した禅宗は、禅の教えの真髄は、己を捨てて自然ととけこむこと、「人の中の自然」「自然の中の人間」との間の究極の調和をもたらすこととされています。

 

禅の影響は大きく、「自然本来の姿を体得する修行」が発展していき、茶道・華道・水墨画・能・枯山水庭園といった日本文化につながっています。

 

今も昔も自然のものや緑と関わったり見たりすることで心が安らぐのは変わらないことで、禅の教えの大きな部分で、わたしたちは今もその影響を受けているのですね^ ^

 

【室町時代】

武士の住まいとして書院造りの建物が作られるようになる。床の間の前身の押し板の場ができ、仏に花・香・灯明をささげるための三具足(花瓶・香炉・燭台)が飾られていました。

 

公家や武士の行事のために、格式のある花が求められるようになり、たて花といういけばなの様式が作られる。将軍家に努める同朋衆と呼ばれる僧侶の芸術家集団が、たてばななどの座敷の飾り付けを行っていた。

 

たて花は、2・3本の草木でつくるシンプルないけばな。主な花材をたてることが重視されており、副素材は足元に添えます。

 

このたて花の名手が池坊専応で、池坊の名を最初に広めた。

 

東山に銀閣寺を建てた、第8代将軍足利義政。中国から美術工芸品を輸入したり、いけばなや茶の湯の東山文化を築き、いけばなの発展にも、大きな役割を果たしました。

 

【安土桃山時代~江戸時代】

安土桃山時代になり、建築が豪壮になるにつれて、座敷飾りのたて花もデコラティブで立体的な立花に発展しました。

 

室町後期から茶の湯が盛んになり、千利休の茶の湯の大流行とともに、池坊専好の立花が人気となりました。

 

立花が人気となり、武士・僧侶・公家だけでなく、町人にも広まる。池坊から分かれた立花師が活躍しました。